【夢】kikkäkeという施設を作ること(過去の振り返り②)
タイトルの「夢」の内容に全然入れない
ねこひげです≡x≡
努力で全て乗り越えてきたわたしにとって
育児とはあまり向いていない仕事なのかもしれません。
育児とは仕事というより「生活の一部」つまり生命の営みなので、がんばってはいけないのです。
でも私はめちゃくちゃがんばりました。
母乳が全く出ないので、病院での出産より痛いマッサージにも耐えたし、どんなに眠くても搾乳したし、夜間の授乳も目覚ましをかけて3時間おきに頑張った。
全然吸わない(出ないともうわかってる)我が子に何度も吸うように懇願。
吸わずに絶望。
母失格の烙印を押された気持ち。
退院後も昼間は赤ちゃんの世話をしながら、部屋を整えたり、母乳マッサージを読んでみたり、補助器具を買い集めた。
夜もほとんど寝てないが、昼間も置いたら赤ちゃんが起きるのが怖くて、ずっとだっこして、抱っこしたままソファで寝た。
トイレに行くのも不安で、同居の父に「だっこしていてほしい」といったら「え?何分?はやくね。」と言われて絶望。父はどちらかというと子煩悩で、特に私のことをとても可愛がっていたからだ。母の死が父を変えてしまったのだろうか。
アルパカさんは優しいけど仕事が激務であまりうまくいっていなかったこともあり、頼れなかった。
朝が弱いアルパカさんに夜起きてもらって仕事に支障がでたら?と思うと怖かった。
大好きなおばたちも床上げまで交代でごはんをもってきてくれてりした。とても嬉しかった。
私は恵まれているのに、なぜこんなに辛いのか。
甘えなのでないかと思った。
夕方になるのが怖かった。
1人でこの子と2人になるのが怖かった。
でも「ダメな母親」と思われるのが一番怖かった。
だから人が来るときは掃除したり、
自分の身なりを整えたり、
できるだけ明るく元気に振る舞った。
みんなに「がんばってるね!おうちも綺麗にしていてすごいね!」と言われるのが励みになった。
それしか自分の頑張りを証明するものがないから。
営業畑出身の私は、「評価」ないこの世界が不安で仕方なかった。