【お裁縫】100均セリアのハンドタオルをリバティ仕様にプチリメイク!
ついにはぴおさんとお出かけできました!
ねこひげです≡x≡
イヤイヤ期だったはぴおさんですが、3歳過ぎて言葉が話せるようになってから、だいぶ話を聞いてくれたり、交渉ができるようになりました。
電車好きも手伝って、電車でお買い物にも行けるように!
うれしいです♡
そして買ってきたリバティの生地。
またリバティ沼にハマりました。
きっかけはお友達がくれたリバティのタオル。
なんだかとっても花柄に癒されたのです。
お花柄だいすき!なぱなにも癒しをということで、
いつも使っているセリアのハンドタオルにリバティの布を縫い付けました!
特にバイアスとかにするでもなく、ただ、四つ折りにして縫い付けただけw
しかも上下だけ!
でも!でも!
可愛いの!
リバティ、ちょこっと見えるだけで可愛いの!
うーん♡
女の子のママにならなかったら、ここまでリバティ沼にハマらなかったと思う。
はぅ〜♡ため息…
検証の結果、リバティ記事を左右につけるよりも、
上下につけたほうが可愛くて高見えだね!
となりました笑笑(わたしの主観ですw)
このセリアのハンドタオル、肌触りがいいし、厚みも大きさもちょうど良くて大好き!
ちなみにはぴおが保育園の時に使っていたおりこうタオル(首からかけるタオル)はこれのハンドタオルを二枚に切って作っています♡
刺繍も可愛いくて結構すき♫
刺繍がない方はお手製のお名前タグを!
ネットでも色々買っちゃって…(*ᴗ͈ˬᴗ͈)
リボンとかピンとか作って、
女の子ママに配ろうっと♫
ああ、秋って幸せだなぁ。
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#セリア #100均 #タオル #動物 #ふわふわ #フワフワ #可愛い #シャーリング #シャーリング刺繍タオル #shirring #ねこ #うさぎ #きりん #ロバ
【夢】kikkäkeという施設を作ること(やりたいこと)
ついに!過去の振り返りを終えたわ!
涙ですぎたわ!
ねこひげです≡x≡
過去の子育てで学んだこと
子育ては1人でやると地獄だけど、
みんなでやると天国だ!
というとこ。
今はできるだけ周りに頼ったり、
子育て中の友達を集めて遊ぶ、かっこよくいうと?「共同育児」したりするようにしています。
そうすると不思議。
子育てってめちゃくちゃ楽しい!
子供ってめちゃくちゃ可愛い!
私の心の余裕次第で、見える世界は別世界でした。
そんな「共同育児」ができる場を
そしてゆくゆくは「共同介護」もできる場を
作っていく
その「kikkäke(きっかけ)」になりたい。
そう考えています。
大事なことなのでもう一回言うね!
大変なことは1人でやると地獄だけど、
みんなでやると天国!
母の大変なことをみんなで楽しんでやる姿勢
ぜひ後世に引き継ぎたいです!
【夢】kikkäkeという施設を作ること(過去の振り返り⑤)
全然作らないですね。施設…
ねこひげです≡x≡
保健師さんはとても優しくて、暖かくて…
焼き立てのパンみたいな人でした。
初めて人にこの辛さを理解し、
包み込んでもらいました。
私はどちらかというと家族や友達、親戚にも恵まれていて、就職試験の面接でも「強みは人に恵まれていることです!」というトンチンカンな答えをしたくらいでした。
でも育児の辛さを話して、「甘え過ぎじゃない?」と言われてしまい、それ以来、怖くて誰にも話せなかった。ダメな母と思われるのが怖かった。
今まで辛かったこと、全部話した。
いつのまにか外が暗くなっていた。
保健師さんは、
「お母さんとてもがんばってるよ。
でも全部を抱え込んでいるから、もっと誰かの力を借りてもいいのかも。家族や親戚が難しいのなら、
自営のてつだいの仕事をすでにしているのなら、保育園はどう?」
目からウロコだった。
まだ8ヶ月の娘。
4月入園は1歳3か月。
いやいやいやいや。
早過ぎでしょ。「3歳までは親元で」じゃないの?
私の母は専業主婦だったので、
余計にその気持ちが強かったのかもしれない。
でも…
このままの日々が本当にこの子にとって
いいのかな?
保育園にいけば、色々わからないことを先生にも相談できるし…
友達に相談し、自分の考えの古さに気付かされた。
保育園って素晴らしい!
子育ては1人でやっちゃダメなんだ!
みんなでやるんだ!
【夢】kikkäkeという施設を作ること(過去の振り返り④)
まだまだ過去を振り返ります。じゃあタイトル変えなさいよ!
ねこひげです≡x≡
二階からでは死ねないな。
そうだ。
ショッピングモールの吹き抜けから飛び降りよう。
私は「冷静」だった。
すぐに準備してショッピングモールの三階へ行った。
下を覗くととても高い。
これなら大丈夫。
あれ、でも柵がものすごく高い…
この子をだっこしてどうやって登るの?
どうしよう
どうしよう…
あれ?息が苦しい…
どうしよう
どうしよう…
あ、人が来ちゃう
逃げなきゃ…
気がつくとショッピングセンター内の介護室でした。
どうやらパニックから過呼吸になり、倒れたようでした。
幸い抱っこ紐のぱな(娘)にも怪我はなく、無事に家に帰りました。
帰宅するとまた過呼吸に…
でも今度は意識があり、布団で休んでいました。
すると市の保健師さんから連絡が。
(まずい…自殺未遂がばれたのか…)
必死で取り繕うも、家まで来てくださることに…
怖いのと申し訳ないのとでいっぱいの気持ち。
ピンポン
来ちゃった…
【夢】kikkäkeという施設を作ること(過去の振り返り③)
手芸がすきですが、実は体育会出身です
ねこひげです≡x≡
部活や仕事はどんなに辛くても、夢があって、目標があって、それをチームみんなで乗り越えて叶えていく。
悩みがあれば同僚や先輩、上司(コーチ)に相談できたし、社外の人に相談したりもできた。
自分さえ動けば、いくらでも成長して変えていける世界だった。そしてそれが分かりやすく評価に繋がり、恐縮するくらいの賞賛を受けることができた。
一方で新生児育児はどうか?
朝起きてアルパカさんを送り出し、一気に不安感に駆られる。今日1日をこの子とどう過ごしたらいいのか。家事をしててもすぐに呼び出しがかかる…
とにかく泣き声が怖いのだ。
とにかく支援センターに通い詰めた。
10:00〜スタートなのが悔やまれた(8:00〜にしてくれ…)
一対一でいるのがとにかく辛いので、大人と話したかった。そして何より、トイレに行くときは見ていてもらえるので、1人になれる!それが何より嬉しかった。
13:00くらいに寝かしつけがてら帰宅し、
運が良ければそのまま寝てくれているので、そこで家事をする。無理なら抱っこ紐。
16:00 相棒というドラマがはじまるのだが、それが終わるのがすごく怖い。
この世界に私とこの子1人なのではないかという孤独に襲われる。
夜が怖い。
1日の疲れが半端ない中で、またあの長い夜が来る。
やっと寝たと思い、私も布団に入ったら、すぐにおきてしまったあの絶望感…
終わりのない1人合宿か?と思うくらいのエンドレスだっこ。(合宿のエンドレスもも上げを、毎日延々とやってる気分…)
そんなことを思うと不安で仕方ない。
ベランダからカラスが子育てをしているのがみえた。
思わず「お互い大変ですね。」と話しかける。
空を見上げると「お母さんみてるかな?この子をだっこしてほしいよ。可愛いねっていってほしいよ。がんばってるねっていってほしいよ。お母さんに会いたい…」と呟く。
そんな日々が過ぎていった。
8ヶ月が過ぎ、アルパカさんも私のイライラした不安定な態度に限界がきた。
大げんか。
きっかけは些細なこと
快速電車の停車駅について意見が食い違った(本当にアホらしい…でもそんなことでも火がつくくらい、お互い限界だったのだと思う)
普段穏やかなアルパカさんの豹変ぶりに、恐怖を感じた。
はじめて「離婚」の二文字が頭に浮かんだ。
数日後、私は無性に母に会いたくなった。
とにかくこの子を、そして私を抱きしめてほしい。
お母さんと一緒に子育てがしたい。
そんなことを毎日考えていた。
だからなのか。
そうだ。死のう。
でも私が死んだらこの子を育ててくれる人はいない。
一緒に連れて行こう。
天国でお母さんと一緒に子育てをしよう。
おばあちゃんもいる。
ねこのみいも…
今思えば、死にたかったのではない。
ここではないどこかへ行きたかった。
とにかく母に会いたかったのだと思う。
【夢】kikkäkeという施設を作ること(過去の振り返り②)
タイトルの「夢」の内容に全然入れない
ねこひげです≡x≡
努力で全て乗り越えてきたわたしにとって
育児とはあまり向いていない仕事なのかもしれません。
育児とは仕事というより「生活の一部」つまり生命の営みなので、がんばってはいけないのです。
でも私はめちゃくちゃがんばりました。
母乳が全く出ないので、病院での出産より痛いマッサージにも耐えたし、どんなに眠くても搾乳したし、夜間の授乳も目覚ましをかけて3時間おきに頑張った。
全然吸わない(出ないともうわかってる)我が子に何度も吸うように懇願。
吸わずに絶望。
母失格の烙印を押された気持ち。
退院後も昼間は赤ちゃんの世話をしながら、部屋を整えたり、母乳マッサージを読んでみたり、補助器具を買い集めた。
夜もほとんど寝てないが、昼間も置いたら赤ちゃんが起きるのが怖くて、ずっとだっこして、抱っこしたままソファで寝た。
トイレに行くのも不安で、同居の父に「だっこしていてほしい」といったら「え?何分?はやくね。」と言われて絶望。父はどちらかというと子煩悩で、特に私のことをとても可愛がっていたからだ。母の死が父を変えてしまったのだろうか。
アルパカさんは優しいけど仕事が激務であまりうまくいっていなかったこともあり、頼れなかった。
朝が弱いアルパカさんに夜起きてもらって仕事に支障がでたら?と思うと怖かった。
大好きなおばたちも床上げまで交代でごはんをもってきてくれてりした。とても嬉しかった。
私は恵まれているのに、なぜこんなに辛いのか。
甘えなのでないかと思った。
夕方になるのが怖かった。
1人でこの子と2人になるのが怖かった。
でも「ダメな母親」と思われるのが一番怖かった。
だから人が来るときは掃除したり、
自分の身なりを整えたり、
できるだけ明るく元気に振る舞った。
みんなに「がんばってるね!おうちも綺麗にしていてすごいね!」と言われるのが励みになった。
それしか自分の頑張りを証明するものがないから。
営業畑出身の私は、「評価」ないこの世界が不安で仕方なかった。
【夢】kikkäkeという施設を作ること(過去の振り返り①)
久しぶりに書いて何をいってるのかしら?
ねこひげです≡x≡
私は24歳のときに母を亡くして、孤独を味わいました。もう社会人として自立していたのに、母は精神的支柱だったようで、不安で仕方なくなりました。
彼氏もいたことのないくせに、「家族を作らなきゃ!」と独自の婚活をして、付き合いしたりお別れしたりを繰り返して、今のアルパカさん(夫)と結婚しました。
アルパカさんのおかげで、救われたわたし。
でも初めての育児であの孤独以上の孤独に見舞われるとは思いもしませんでした。
産むまでもそこそこ大変で、
不妊治療をしたり、
切迫早産で入院したり、
出産もお腹の張りが機械に現れないからと放置されて、トイレで産みそうになったり…
色々ありましたが、生まれてきたあとのバラ色の人生を思えば頑張れました。
まさかここから地獄が始まるとも知らず…